
2025年8月31日(日)
7月20日執行の参議院議員選挙の結果について
その前に、先般の大雨により被災された方々には、一日も早く日常の生活に戻られますようお祈りし、心よりお見舞い申し上げます。
さて、自由民主党・公明党の連立与党が負け、昨年10月の衆議院議員総選挙に続き、参議院でも過半数割れしました。
昨年の衆議院の解散総選挙でも、事前から与党不利とみられ、今回の参議院議員選挙でも、早くから与党敗北が確実という声が聞こえ、予想通りとなりました。
その要因として、マスコミを始め巷でも多くが語られているように、自民党の派閥絡みの裏金問題が後を引き続けるなか、米を象徴として物価上昇が続き、賃金アップも追いつかず、国民生活がますます苦しくなり、その不満が当然のこととして、有効な手立を打てない時の為政者、すなわち自民・公明連立政権へ向けられたということでしょう。
また、一面では一部政権幹部の庶民の心情を無視した上から目線の発言や自民党の旧態依然とした体質が時代の流れに合わなくなった、下世話な言葉ですが、自民・公明両党が賞味期限切れになったとの表現も一部にあるようでした。
そのような中で、今回の参議院議員選挙の特徴として、いわゆる右派系統と見なされる新しい勢力が伸長した点があげられます。
近年の欧米諸国でも、いわゆる右派とみなされる勢力が伸長し、またアメリカのトランプ政権が極端な自国第一主義に走るなか、日本でもその傾向が見られるようになりました。
これら全ての国において、その要因は様々にありますが、共通しているのは、いわゆる外国問題です。
そして、この各国の外国問題には、移民や不法移民が増え過ぎ治安が悪化したり自国民の雇用の場が脅かされている点や、周辺国からの軍事的脅威が増していることへの不安な点、さらには経済のグローバル化の中で、自国経済資本が海外資本の浸透により減退気味になっていることなど、国それぞれに様々な要因があります。
当然にそのような中では、国民は自国第一主義に陥り易く、いわば感情論としても自国ファーストの流れが大きくなるのは当然なことです。
日本でも「日本人ファースト」を訴えた参政党の躍進や、さらにより右派と見られる日本保守党の議席確保が注目されました。
特に参政党には、将来への不安を抱きがちな若年層から生活の苦しさを実感する働き盛りの40代、50年代の支持が広まりました。
参政党の候補者の中には、「核を持った方が国防には安上がり」とか「外国人が日本の健康保険制度を悪用している」、「生活保護制度が外国人に優遇されている」とか、極めて不適切な主張や、いわゆる真実でないフェイク情報を口にするなど、国会議員候補として如何なものかと思う発言がありました。
確かに、統計的には外国人の犯罪率は増えている状況ではないし、健康保険制度や生活保護制度の点も、正確なものではありません。
評論家や学識者はその点を指摘し参政党の伸長に批判的な方も多く感じられますが、しかし国民感情としては、統計的なことや正確・不正確は別として、生活がますます苦しくなる中で、感情論として「日本人ファースト」というキャッチフレーズに漠然と心を引かれた結果、参政党は国民の不満のはけ口の受け止め役になったように推察されます。
そのような中で、日本の急激な人口減少下、一定の移民や外国人労働者なくして日本経済や国民生活が成り立たないことを十分に理解している、決して排他主義的ではない常識的な国民や有識者、さらには一部政党や政治家層も、現状のままの外国人対策でよいのかという点に触れ始めました。
そして、誰も口にしませんが、主に外国人問題を指す場合、膨張政策や覇権主義的な、特に中国への対応ではないかと思います。
確かにインバウンド観光が急激に増加し、中でも中国人富裕層の旺盛な購買力で日本が潤っている面もありますが、中国人富裕層の日本の不動産買いや企業資本買いの問題は深刻な面も表面化し、多くの日本人は被害者意識と、ある意味で日本の衰退の現れとして「情けなさ」を持ち始めているような気がします。
裏を返せば、直接被害を受けた国民は別として、多くの国民は個別の中国人に対する不満というより、政府の外国人対策への不満や弱腰に見える点が「日本人ファースト」というキャッチフレーズに惹かれ、その反動として参政党が伸長したのではないでしょうか。 具体的には、中国で日本人がスパイ行為で摘発され逮捕拘留される事が多発し、また中国で自由な経済活動が制限されているが、同じような事を中国人が日本でしても政府はなにも制限しないし、見るからに弱腰という、いわば相互主義に反しているのではという意識が国民にあると感じます。
確かに、国それぞれ政治体制や法制度が異なり、全てを相互主義として相互に同じルールを課すことは出来ませんが、多くの国民には日本の不動産や資本買いに将来への不安を抱いているということは確かなように感じます。
日本で中国人が自由に不動産を買い、隣地の樹木を無断で伐採したり、購入したマンションの家賃を急激に上げエレベーターを止め住民の追い出しをしたり、無許可で民泊施設にしたりしても、日本当局は極めて甘い対応で、苦しんでいる日本人に、政府は原則論ばかりで手を差し伸べようとしないのではという思いは多くの国民が抱いていると思います。
また、東京都内や近郊のマンションも、中国人富裕層の爆買いで急激に価格高騰し、かなりの富裕層で無ければ自国民が買えないという傾向にもなっているようです。
事実、先日私の友人が住んでいる都心部のマンションの各部屋の所有者の多くが中国人で、実際には所有者が住んでおらず、様々な中国人が出入りし、ゴミ捨てや管理上のトラブルが絶えないような話を聞きました。
特に今問題視されるのは、自衛隊基地の近隣など一定の不動産の外国人取得の規制はあるものの、極めて限定的で、中国の国際法を無視するような領土拡張政策を続ける中で、軍事的に要衝となる南西諸島や瀬戸内海の離島などの中国人の買収には、多くの国民は不安を抱いています。
さらに、北海道などを中心に、国民の命の源である水源地域の外国人による買収は、公共的要素のある水源地域が外国人所有になるのですから、地域住民は敏感にならざるを得ません。
有識者や政府関係者の中には、外国人であろうが日本人であろうが変わりはないという人もいますが、仮に外国人所有の水源地域で、水源が使用できない状況になり、手を打とうとした時に、その外国人が国外に出ていた場合、様々な折衝や強制的な手段を取り得るかどうかです。
日本人所有者の場合は、様々に折衝も出来るし、それなりの法的措置も出来るが、果たして自治体や政府が、今のように原則論ばかり、ましてや日本人の廃棄物不法投棄でさえ、何年にも渡り注意だけで実力執行出来ない状況では、はなはだ心許なく、国民の不安は増し、少しばかり論理的でなくとも、ますます「自国ファースト」的政策指向の政党に魅力を感じてくるものと思います。
また、海外資本の日本企業の資本買いはグローバル下の中で通常に行われるものの、同盟国や民主主義国の海外資本とは異なり、特に日本と経済関係では密接な関係を持ちながら、領土問題では対立が顕著な中国人の日本の資本買いには経済面のみならず、国防面や日本の独自技術の流出など将来への不安も内包しています。
当然に、日本企業も海外資本の資本買いは相当額に及び、この点は国際収支へ大きく貢献している面があり悪い事ではないものの、海外諸国は国防や国民生活基盤に不安のあるようなものについては、それなりに監視、一定の規制はあるようです。
確かに、WTO加盟国として外国人の不動産買いや資本買いを原則的に制限できないルールがありますが、一部有力政党もその点で外国人対策の必要性を公約にし始めており、可能な限りの対策を急ぐべきと思います。
参政党の伸長を一過性のものと見るかどうかという点では、一に参政党自身が国政政党としてガバナンスをしっかりと確率し、右派は右派として正確な事実に基づき、単に感情面だけではなく論理的に政策を提言するかどうかにかかっているものと解されます。
一方で、国民の多くは個々の外国人に特に不安を感じたり、排斥したりする気持ちは持っておらず、今後は一定の外国人労働者なくして産業経済活動や福祉対策は成り立たないと思っているにせよ、自民・公明両党や主要政党が、将来の日本の国防や身近な水や豊かな自然環境など生活基盤に不安を抱かせないような外国人対策を具体化しない場合には、再び「日本人ファースト」の流れが大きくなる可能性も包含している気がします。
いずれにしても、今国民は何となく日本の衰退、その衰退の中での貧富の格差の拡大と大多数の国民の生活苦など、将来への大きな不安を抱いています。
しかし、日本の衰退の要因の一つとして、日本人の何事も穏やかに、波風たたないように和を尊ぶという、一方では日本の美徳でもあるものの、急激なグローバル化の中で、外国人対策について排他的に陥ることなく、国民の不安や現実の切実な弊害を払拭するための政策転換も必要な時期になっているのではないかとも思われます。
加えて、先進国の中で停滞を続けている経済政策についても、行財政改革の名の下で国立大学の独立行政法人化により研究費削減を続け、企業からの研究費確保がし易い目先の応用技術ばかりを追い、このままでは自然科学分野でノーベル賞受賞者は出なくなると言われる状況になっています。
資源のない日本の産業経済政策の基本はハード・ソフト両面での技術立国であるべきで、数十年先の将来を見据えた大学等の基礎研究分野への投資を大幅に増やすべきです。
また、中小企業政策も激変する経済構造や急激な人口減少のなか、存続不可能な業種・業態が増加し、このままでは行き詰まりになることは目に見えています。
当然に、中小企業でも経営者の才覚で、成長著しい企業は多くあります。
しかし、企業統合や事業承継など前向きの政策展開も多々ありますが、総体的には中小企業政策の根幹は現状維持、小規模・中小企業保護に走りがちで、農業分野で行われている農家の個別経営から大規模法人化への流れがあるなかで、なぜ中小企業分野で企業数を減らし、小規模企業は小企業に集約化、小企業は中企業に、中企業はより力のある企業へ、そしていずれは大企業化へと政策誘導出来ないものでしょうか。
賃金アップも若年層の地元雇用の増大も、現状の中小企業の実態では無理がある中で、人口問題でも移住政策や二地域居住なども限界があり、地域の産業経済構造によるところが大きいのではと思います。
小規模・中小企業でも、生き残りのためより自助努力する企業には積極的に支援し、明らかに先が見えない業種・業態や現状にこもる企業には、軟着陸の形で自然淘汰もやむを得ないような政策転換が必要ではないでしょうか。
なかなか困難ではあると思いますが、日本や地方の将来の行く末がかかる問題で、感情論に陥ることなく本音で語り、トゲのある発言に反発せず、特に産業経済政策の基本を司る国政に関わる方には考えて頂きたいと思います。
最後にひとつ、急成長を遂げたある日本の著名な経営者の言葉です。
「泳げないものは溺れればいい」
冷たい言葉に聞こえますが、グローバル経済の進展や情報分野を中心に飛躍的に技術革新が進む中で、日本を代表する大企業といえども、経営破綻や経営の行き詰まりに直面している企業も多くなる現状で、当然に小規模・中小企業においては、なお一層努力せず知恵を出さない企業に将来はなく、いずれ公的な支援も選別支援に入る動きに転換せざるを得ない状況になるのではと思います。
「強いものが生き残るのではなく、変化に最もよく適応したものが生き残る」という格言は、ダーウィンの進化論の自然選択(自然淘汰)を分かり易く説明するために、哲学者ハーバート・スペンサーが生み出した言葉ですが、人間社会でも変化の激しい現代においてこそ強く認識すべき格言ではないでしょうか。